ウサの耳に

映画、本、お笑いetc

映画『カモンカモン』

happinet-phantom.com

 

最近よく考える。私はつくづく「大きな物語」を無視し、「小さな物語」だけを見つめてきてしまった、と。

正直、昔はそれでいいと思っていた。「小さな物語」は小さくなんかない、それこそが最も大事なことだと。だから、私が好むのは「心の物語」ばかりだったし、考えているのはいつだって「小さな物語」についてだった。たぶん、「心」にしか興味がなかったのだと思う。

だけど、どうしたって「社会」という「大きな物語」と結びついていることを知る。

ここ数年は特に。30も半ばに差し掛かり、社会は一変し、戦争が起き、いやでも考えなくてはならないようなことが毎日起こる。目を背けていた自分の無知を改めて自覚したり、社会への責任、みたいなことも考え出すようになる。

それでも私は「小さな物語」を大事にしたい、「小さな物語」を愛し、その話がしたい。だけど、そのために「大きな物語」をもう少し知る必要がある。ざっくりいうと、こんなことを考えるようになっていた。

*ずっと考えてる「家族」というものについては、また別の時に書いてみる。

 

 

映画の感想はちょっともう少し胸に留めておきたい。また観たいな。ひとつだけ、この映画がモノクロでよかった。リアルな色彩は現実感が強すぎて、全く違ったものになっていたように思う。

 

 

それから、私の大切で大好きな3歳の友人に早く会いたくなった。会ったらぎゅーっと抱きしめる。たくさん話すようになっているだろうから、ことばに耳を傾ける。一緒に過ごせるのは少しの時間だけど、もし覚えていなくっても、私が全部覚えているからね、って思う。私が「社会」とか「未来」とか考えるようになったのは、彼の生きる世界がちょっとでもいいものであってほしいと願っているからだ。大人も子どもも、大丈夫じゃなくても、ちゃんと対話して、ダメな時は叫んだりして、まず目の前の小さな物語をちゃんとやっていきましょ。

映画『ちょっと思い出しただけ』

観る前に異様に警戒していた『ちょっと思い出しただけ』を観た。帰り道、誰のことも思い出さずにショートケーキを2つ買って帰った。誕生日でもないけど、旦那さんと一緒に食べる。今は『ナイト・オン・ザ・プラネット』を観ている。

 

もうここ何年か、20代後半から30代前半の性交渉を前提とした異性同士の恋愛模様(もれなくヒリヒリする)中心の物語を観るのがかなりしんどい。特に、別れが来たり、過去を思い出すようなやつ。題字が手描き文字だと無条件で目を背けてしまうくらいの苦手意識があって、今回もあまり気が進まなかったのだけれど、いくつかの要素が重なって観てみることに。

 

物語の構成やジム・ジャームッシュへのリスペクトとオマージュ、役者たちの使い方が絶妙で、警戒していたようなえぐられ方、苦手な感情はそこまで感じなくてまずはほっとした。(よく考えれば松井大吾監督でジム・ジャームッシュ愛の映画なんだからそこまで警戒しなくてもよかったかな)ちょっとだけクサイな〜とか、イチャイチャがちょっとしんどい...とか、水族館とか屋上のシーン、30歳こんなはしゃぎ方するかな...とか、そわそわしたシーンはいくつかあったもののこれは好みの問題かな。ぐちゃぐちゃの感情や、未練たらしいヒリヒリ男女模様を見せられるのが苦手なので、タイトル通り「ちょっと思い出しただけ」なのがよかった。

 

永瀬さんがジャームッシュでよかった。とまり木がわたしにとっても心の拠り所で、國村隼さん演じるマスターがめっちゃ好きだった〜。

 

そして最後に言わせてね、何がいちばんよかったかってもう大穴で屋敷さんよ。地獄みたいなコンパを抜けて出会った軽薄な男...「芸能人と結婚して〜」ってもう、お前、屋敷じゃん!最高だよ...屋敷役なの?屋敷の役なの?屋敷がいたからなんか、ちょっとハラハラしながらも、ほっとして観ることができたよ。ありがとう屋敷。

 

ようちゃんと屋敷は次の日、仲良くケーキを食べたんだと思います。
あの6年のこと、ちょっと思い出しただけだから。

映画『すばらしき世界』

『ヤクザと家族』 の山本への思いを消化しきれていないまま、
また別の、一般社会で生きていこうとするヤクザの話を観に行ってしまった。

 

そう、『すばらしき世界』。

wwws.warnerbros.co.jp

 

この映画を観て、わたしの脳内は2人の架空のヤクザでいっぱいになってしまった。
どうしてくれよう。

 

1週間経って、役所広司演じる三上の存在は大きくなるばかり。
役所さんの恐ろしさ、知っていたつもりだったけど
すさまじかったな...
もう三上に、会いたくなっている。

喜怒哀楽ぜんぶ、それ以上を三上と一緒にドキドキしながら体験した、
世界の色が変わっていくような日々だった

「仕事決まったんだ」って報告したときの店長の笑顔、
あそこからもうずっと泣きっぱなしだった。

社会になじんで生きていくって、
普通に生きていくって、こういうことなの?って
悔しくなって涙が止まらなかった。
ねえ、やっちゃってよ三上。だけどここまで頑張ってきた彼と
彼を支えるひとたちの顔が浮かぶ。苦しい。
三上はたぶんもっと苦しい。

 

あんなふうに泣きながら走ってきてくれる人がいる、
駆けつけてくれる人がいる、ってこと

「すばらしき世界」

右手でつつんだままのコスモス
彼にとってここは本当にすばらしい世界だったんだろうか、

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実はあんまり得意じゃなかった大賀も良い。
言わずもがな店長の六角精児、めっちゃ良い。
『ヤクザと家族』と真逆の北村有起哉も良い。

梶芽衣子の歌声が聴けるのもとても良い。

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今回はこの2作について
どちらもみた友人と感想を言い合ったのも合わせてすごく良い映画体験だったなあ。(パフェを食べながら)

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ふざけてTwitterにあげた図です。

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空気階段 第4回単独ライブ『anna』

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www.tbsradio.jp

 

 

「作り込まれた作品」の面白さやすごさを、以前より感じるようになった。
スクリーンで観る映画、編集されたバラエティ番組、小説、マンガ...

 

その中でも、ちょっと忘れかけていた「単独ライブ」。

 

10年前くらいにラーメンズバナナマン
コントライブDVDを見るのにどハマりしていたけれど
最近はYouTubeで気軽に試聴してしまうようになり、
1本集中して見る、ということはほとんどなかった。

 

空気階段のネタはTVで見ている程度。
それでも割と好きだったのと、SNSで好評だったのもあって、
迷わず配信チケットを買ってみた。

 

忙しくて作業しながら見始めたけど、
あ、これ、集中してみたい。と思ってすぐに停止ボタンを押した。

 

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細かい内容はまだ書かない方がいいのかな、と思うので
どこまで書くか迷うけれど...

 

まず、ふたりの演技力が想像よりもめちゃめちゃ高かった。
もぐらさんは歯がないおじさんか怪しい霊能者、
かたまりさんは普通の青年、あるいは女装(美しい)の
イメージが強かったんだけど、
ふたりとも限定的なキャラが似合うような風貌と見せかけて
かなりいろんなキャラを演じ分けることができるのだと知った。

どの人物もどこか欠けていて、でも、愛せてしまうような。
「いるはずないだろ!」と、「いるような気がする」の絶妙なところをついてくる。

 

つぎに、ちょっとした会話の中に出てくるワードセンスが
神がかってる。ことばが、彼らの世界観をさらに深く、魅力的なものにしてる。
間の取り方、ことばのチョイス、構成、演出...笑いのバランス、

そういったものも含めて、こんな簡単に言っていいかわからないけど、
「表現力」がずば抜けているのだと思った。

 

「27クラブ」を取り上げた『27歳』
「ジャニス、ジミヘン、ブライアン・ジョーンズ...」と名前を挙げしんみりと語り合う中での
「高須院長」に続き名前を挙げられる著名人たち(へのさりげない暴言)。
トイ・ストーリー」のエピソード、あげくあの曲が流れるタイミング...
笑い転げちゃったな...なんでこんな絶妙なの?
高橋ジョージみたいになっちまうぞ!」「あの冷たい目を思い出せ!」

 


多くの人の心を奪ったであろう『メガトンパンチマンカフェ』。
小5の頃、自分で漫画や物語を作ったことがある人は
誰しも覚えのあるようなネーミングや、独特な設定。
その世界を一生懸命守って、コロニーを取り返そうとするある意味無垢な姿は、
めちゃめちゃ滑稽で愛おしくありながらどこか、わたしたちを切なくさせる。
ハア、ブラックホールの湧き水飲もう。

 

 

オープニング、転換中の演出や音楽もとてもよかったよね。

 

 

最後、タイトルが出ずに始まった「anna」は言わずもがな。
勇気ラジオとチャールズが全部回収してくれて、笑いっぱなしだったけど、
最後は涙が溢れた。

 

人がものを作ること、この2時間12分にかけた情熱やこだわり、
おふたりが表現したいと思っていること、
この世界観、音楽、コントのストーリー自体。
そういうものに全て感動してなんだか泣けてしまった。

 

夢で逢えたらいいな 君の笑顔にときめいて
夢で逢えたらいいな 夜の波をこえてゆくよ
夢で逢えたら銀杏BOYZ

 

このまま どこか遠く 連れてってくれないか
君は 君こそは 日曜日よりの使者
たとえば 世界中が どしゃ降りの雨だろうと
ゲラゲラ 笑える 日曜日よりの使者
日曜日よりの使者THE HIGH-LOWS

 

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空気階段、もっと大好きになりました。
今公式YouTubeで単独公演1〜3を見ています。

 

 

www.youtube.com

『ヤクザと家族』

 

 

 

 

どんだけ楽しみにしてたんだ、わたし。

 

ストーリーや構造のことはわたしよりうまく説明する人がいっぱいいるだろうから、感じたことをそのまんま書いておく。

 

綾野剛にはこれまでも「綾野剛...」という気持ちにさせられてきたのだが、今回は圧巻、まじでまじの

舘ひろしの登場シーン、スクリーン通してもオーラがありすぎた

・1999年、綾野剛舘ひろしの「目」がすごい、この「目」をみてほしい タイトルが出るまでの

・ただその後、「目」どころではなくて、まとう空気とか、表情とか、姿勢とか、声色とか、なんかもう全部が、、、、

綾野剛舘ひろしはもちろんのこと、他の俳優陣も素晴らしい

北村有起哉の身になろう

・そこでこそ輝く市原隼人

・ただ、今回は、なんと言っても磯村勇斗

・ラストシーン、悲しくてどうしようもなくて胸が詰まって苦しかったんだけど、磯村勇斗、なんて演技をするんだ...

磯村勇斗と小宮山莉渚が光だった これも「家族」 どうか幸せになってくれ

 

 

わたしはヤクザ映画を「ファンタジー」だと思って楽しんでいるところがあるんだけど、今回はそうもいかず。ファンタジーのようで現実で、でもわたしにとっては非日常で、でもさ血が繋がっているかは置いておいて、「家族」とか「信じる人」って誰にでもきっといるし、守りたい約束とか、許せないこととかってあるし、

そんな中で、塀の中で14年を過ごして、愛する人と再会できたのに、社会は、法は、それを許さなくて、周りは変わってしまって、やり直そうとしてもやり直せなくて...こんな切ないことがあるかよ、こんな悲しいことがあるかよ、って思って、この感情をどうしたらいいんだよって思っていたら、あやが現れてさあ、翼がさあ...あんな綺麗な目で...  彼らはあのあとどんな話をしたんだろう、彼らだけがケン坊の存在を、生き方を知っていてくれ、そして生きていってくれって願わずにはいられなくて、最後に光をありがとうって思いながらくちびるを噛んでいたんだけど、

 

エンディングの『FAMILIA』が感情に流れ込んできた。

 

eiga.com

 

"「映画を観終わった後に、その世界を生きていない第三者の愛が、どうこの作品とお客様の懸け橋となってくれるのか、今自分たちが心の中に宿している静かなマグマを治癒してくれるのは、(常田)大希しかいなかった」と振り返る綾野。"

 

"エンドロールに主題歌が入った完成版について「感想を表現するには言葉では足らない。魂がえぐられた。今日まで生きてきて出会った事のない感情です。エンドロールで歌詞が流れるのを観た時、体内から溢れ出るモノを必死に抑えた。私にとって人生最愛の作品が生まれました」(綾野)"

 

今自分たちが心の中に宿している静かなマグマを治癒してくれる」ってすごい表現だけど、まさにそんな体験だった。なんか敵わないなって思って、こんな音楽作る人に。すごい。インタビューを読んでさらにそう思った。なんかまだちょっとグツグツしてるんだけど、この音楽がなかったらこの映画は完成しなかったのかもしれない。なんかそれくらい、ありがたかった、この音楽の存在。性懲りもなく観にいってしまいそう。また。

 

映画『星の子』

 

 

一夜明けると同じ雪の上を歩く仲間が4人になっていた。
朝から映画を観るために緊張しながら夜早く寝るの、
たのしかった。それに、1日が早く始まって良いね。

映画の内容はというと、細かくは言わないけど
ちょっと主人公・ちひろの気持ちがわかる部分があるので
複雑なきもちになるところもあったり。

ちひろのきもちになると、ウー、ってなっちゃうシーン
けっこう、あったよね。岡田将生がうまくてさ...

 

ただ、最後。
同じ流れ星は見れないんだけど、
それでも3人は星空を見上げるんだな、って思って。

また小説も読み返したくなりました。

ゆれる年頃に、
芦田愛菜ちゃんの年齢はビンゴだったんじゃないかな。
これからどんな役を演じるのかも、たのしみ。

 

 

ココアの齢に『私をくいとめて』を観た

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「甘いけどけっして甘すぎない。ほろ苦いココアを、マグカップを手で包み込むようにして少しずつのみ、胸の不安を消してゆく……三十三歳」(私をくいとめて/綿矢りさ


原作ではみつ子は33歳。
その歳に劇場で、「私をくいとめて」を観た。今年の8月に小説を読んでいたのだが、いま、パラパラとページをめくりながら映画と重ね合わせている。久しぶりに感想など残してみようと思う。

 

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勝手にふるえてろ」のテンポと松岡茉優にやられてしまったわたしは
期待しながらテアトル新宿へ向かう。
綿矢りさはキャラメルポップコーンでしょ!」と
意味不明理論で、ひとりだけどポップコーンを買う。

 

まず印象に残っているのが、みつ子の部屋。単純に、可愛かった。ルールと秩序がある「ひとりで生きていけてる部屋」だと思った。ここが、みつ子の城なのね。
(公式サイトにインテリア情報が載ってたよ〜)
映画『私をくいとめて』|大ヒット上映中!

 

途中までは「のんちゃん可愛いなあスクリーンのアップに耐えうるとは何事か〜」とか思いながら楽しく観ていたんだけど。やっぱり言及しておきたい、胸がぎゅっとなった2つのシーン。

 

1つめは、奥多摩の温泉宿のお笑いライブ。
まさかここで「吉住」が出てくるとは...!このセンスとヒキの強さ、すごい。それだけで感嘆してしまった。そしてあのみつ子の葛藤。小説にはこう続く。

「苦しいよA。人間は赤の他人でもあれほど強烈な印象を残していくの。おかげで温泉で得たささやかな癒しが、こっぱみじんだよ。一人で外出しても、何の感情の波動も受けないくらい、平然としていたいよ」

 

ああ、わかるなあ。他人の言動にショックを受けたり怒りを覚えたりして「自分はおかしいのだろうか」とある種の生きづらさみたいなものを抱えて家に帰ることがたびたびある。言いたいのに言えなかったことを反芻して、言えなかった自分を攻め続けることが、たびたびある。

 

それから、みつ子がイタリアで所在なさげにしているシーン。たぶんね、私もそうなってしまう...皐月が素直に泣いてくれたのが救いだった。

バスルームのドアを閉めて、みつ子は思う。

 

 「ほんの一瞬の幸せじゃなく、小さくてもずっと感じていられる確かな幸せを探し求めてきたはずなのに、私はまだ見つけていない。心配ごとがいつかすべてなくなる日なんて来るんだろうか」

 

こうやっていくつものドアで、自分の内側と外側を行き来してきた、みつ子。

 

だからこそ、最後沖縄旅行に向かうみつ子が泣きそうな顔でドアを閉めたとき...
Aと決別=融合するのはさみしくもあったけど
みつ子が自分の城を出て誰かと一緒にいようとする様は
なんかいまだに他人ごとと思えなくて、愛おしくなったな。
Aの声が聴こえなくなるのはいとうせいこうさんの「アタとキイロとミロリロリ」でアタが大人になってしまうときを思い出したりした。

 

それからカメラワークが面白かった。
俯瞰の視点や、誰の目線かわからない、やや低め・ずれた視点。
A目線=つまりはみつ子の視点?ずれたりぼやけたり。
ふとした日常のシーンでも、そのせいか妙にドキドキした。

 

 

綿矢りさの文章の切れ味と小気味いいテンポが
するりと映像になり脳に押し寄せてくる感じ、好き。
勝手にふるえてろ」も大好きだったんですが、もしまた綿矢さんの作品を実写化するなら、大九明子監督でお願いします!という気持ち。